日記みたいなメモ 2026年5月
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▶日記みたいなメモ 2026年6月
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2026/5/29
昨日のコンサート会場はもともと駅舎だったものをカフェにしたもので、線路が通っていたところがそのまま散歩道になっていた。丸太と大きな角材がぼんぼん置かれていてみんなそれをテーブルにして好きに過ごしている感じ。カフェで買ったものを飲食してもいいし、ピクニックをしている人もいた。官民の中間みたいなところがアソシエイションとして運営しているんだろう。
コンサートは、プロフェッショナルとアマチュアが入り混じっている感じで、選曲は好みだったけれど編曲が複雑すぎてテクニックが追いついていない人が数人。音量の調整ばかりかピッチとテンポを保つことが出来ていない人もいたので、そういう人がベースパートにいると音楽は途端に崩れる。変拍子とかリズムをアクセルするような曲も多かったので、そうすると土台のテンポが良くわからないうちに変拍子に移られたりしてわやくちゃになる。
友人はその点プロなので(だけどフロント楽器なのでリズムはいかんともしがたい)友人のパートになるとお客さんがほっとするというような感じだった。
とはいえ、ゆっくり暮れていく空を見ながら音楽を聴いて、ちびちび飲み物を飲んだり友人と話したりするのは楽しい時間だった。
2026/5/28
面白いことがあって日記に書こうと思っていたんだけど、日記に書こうと思ったこと以外は全部忘れてしまった。
🍽️ブロッコリーがほんのり黄色になっていたので全部蒸し、ゆで卵とサラダに。ゆで卵とマヨネーズの組み合わせはほんとうに美味しい。マヨネーズの中に卵が入っているからかな。いくらサーモン丼が美味しいのと似ている?似ていませんね。
今夜は友人のコンサートなので、サーカスのテントやフィルハーモニーの劇場のある公園をぐるっと回って小さい劇場まで。場所もひらけてて気持ちいいから一杯飲みにくるつもりでおいで、とのこと。
2026/5/27
🍽️暑いので、きゅうりとまるごと一本(といっても細い大根くらいある)と生姜をたっぷり刻み、梅干しをたたいて、にしんの燻製をこまかくして酢飯に混ぜる。酢には砂糖と塩、梅酢も加える。どっさり胡麻と海苔も。みょうがやしそがあればよかったんだけど、ないので代わりにパクチー。
そういえばNetflixの『オザークへようこそ』が良い出来だったので同じ監督のものをチェックしたいと思う。細かい人間の描写も見事で魅力的だったし、出来事の絡ませ方もよかった。4シーズン全部飽きなかった。終わり方だけちょっと「おや」という感じではあったけれど十分見ごたえがあった。
2026/5/26
昨晩は大声で騒ぎあっている声を聞きながら眠った。鋳造のため、それから洗濯物も乾かしたいので窓を開けていたので騒ぎはダイレクトに聞こえていたけれど、どんな環境でも眠れるので気にはならない。ただ遊びで窓によじ登られたりしたら嫌だなとだけ考えていた。
鋳造は失敗したらしい。下準備に何日もかけている姿を見ていたので言葉もない。久しぶりすぎて石膏が古くなっていたからとのこと。自分の失敗だったらまだ気が楽だったかもしれない。実際その苦労を引き受けていたわけでもないくせに。
夕方を過ぎて今日の最高気温から逃れ、カーテンがぷーっとお腹をふくらませるのを見ている。
私が何かをカテゴライズして呼ぶとしたら、その先には個しかない、そのリミットにつけられている名前を呼ぶ。そんな話をした。言葉尻にとらわれて本質をみないのだとしたら、そのリミットがスライドしてゆくだけで、総量としては全然救われてなどいない。そんな話をした。
2026/5/25
5月にこんなに気温が高いのは観測史上初とのこと。確かにこの暑さはいつも6月末のものだ。1ヶ月ずれている。
🦵リハビリ。狭い範囲で鋭く痛むので少し休んでいたけれど、可動域自体は広がっている。筋肉の脱力を促しながら関節に力をかけていく。膝も相変わらず痛い。肩が動かせるようになればもうちょっと効果的に内転筋も伸ばせるのにな。
2月半ばから3月1日までのメモ書きをまとめた。日記みたいなものをインターネットにずっと書き続けているけれどそれを読み直すということはしてこなかったし必要もなかった。けれど、こうして3ヶ月くらい遅れで日記のようなメモ書きを手を加えながら書き直すことで、日々がどうであるかというだけではなくてその期間、ある程度まとまった時間の塊の中での自分の傾向が見えてきて、なかなかおもしろい。
📖『La Tresse』2章を最後まで読み終えた。どうやらこの先大きな責任が主人公にのしかかりそう。祖母ほどに年の違う仕事仲間が登場するんだけど、この先主人公をどう支えてゆくんだろう。この主人公は本を読むということに特別の愛着を持っているみたい。自分も本が好きだからって、なんだか嬉しくなる。
2026/5/23
久々に中心地を散歩。この季節は観光客でいっぱい。だけど私も長い長い観光客のようなものだ。だから話題の橋をすっぽり包んだ作品も見に行ってしまうしアイスクリームを食べ歩きすらする。
アイスクリームは花びらのように周りに薄くもりつけてゆくタイプなので、同じ値段で何種類も頼んで良い。ヨーグルトと塩キャラメル、ミルクアメリカンチェリーにした。アメリカンチェリーが思ったよりもソフトな味だったので全体的にクリーミーにまとまった。
火災の修復が終わったのち人が戻ってきた町の中心にある教会のファサードの彫刻を見ながら、イエスの左手側が地獄を、右手側が天国を表しているんだと教えてもらった。去年地方の教会に行った時に、創世記とアポカリプスのステンドグラスが美しかったのだけれど(教会の中から見て)向かって左がアポカリプス、右側が創世記であることにずっと疑問を持っていた。一般的にヨーロッパの教会は反時計回りに巡るのが作法だから、この教会の場合入ったとたんにアポカリプスに出会うことになってしまう。それに(これは現代人の感覚に過ぎないのかもしれないけど)年表では左側が昔を表すからこれも感覚的にずれがあるなと思っていたのだった。調べ直したら、教会の配置は方角に強く関連付けられているので、イエスの右手(北側)には聖なるもの、つまり始まりを、左側(南側)には終末を描いていたのだそう。なるほどね。
2026/5/22
昨夜は再び歌うことになった友人のコンサートを聴きに町まで。木曜なのに町中のカフェは賑わっている。9時すぎてもまだ夕方なので夜に出かけるのも楽しい。シャポー形式(任意でお金をいれる形式)ではなく最初のドリンクにアーティストへの5ユーロが加算される仕組み。いいと思う。シャポーだと20サンチームとかを入れる人がいるし。しかも観察していたらカフェは結構人の入れ替わりも多い。楽しい夜だったし、歌を聴けてよかった。
2026/5/20
日本で西日が嫌われるのは何故なのか。それとも私の狭い文化圏の中だけで嫌われていたのか。今の家は西日がよく入る家で、なんなら西日だけがよく入る家で、だからこれからの夕方の長い季節には毎日少しずつ違う光が家のなかに差し込んできて、葉陰や、雨粒のきらきらや、紅い夕陽にみとれてしまう。
2026/5/19
🦵メニューづくりをしながら今日は軽くストレッチとトレーニング。今回は自分の体をそれと認識するところから始めようかな。何かをデッサンしようとしたら一瞥するだけでは描けなくて、対象を長い時間しつこく見つめ続ける必要がある。でも一度デッサンをすればもうそれを見ていないときにでも詳細を思い出すことができる。そんな風に自分の体に触れ、感じるところから。動くと途端に膝も坐骨もかかともどこでどんな風に在るかがわからなくなる。自分の体は完全に外から眺めることは不可能でイメージとの乖離が生まれるから、手放さないように、紐づけながら、何度も行き来しながら。スキャンするようにとか鏡で見るように触れる、では不十分で、デッサンの喩えがいいだろう。関連して床を押すこととそれぞれの関節から先の重力を感じることもやってみようかな。股関節の強化も一緒に。
ある物を買いたいのだけど専門家の意見が聞きたいというのでアドバイスをした。今はAが安くて主流にはなっているけれど、保たないし修理もできないからAだけはやめたほうが良いと教えたのだけれど、ありがとう!という返信の10分後に「Aっていうのが今売れていて高くもないらしいんだけどどう思う?」と連絡が来た。
長年の持病について相談されたので、私にできるのはあくまでもケアで治療ではないということを説明し、自分の知っている専門医の電話番号を教えた。もしお医者さんに診てもらった後に私のできるケアに切り替えて良いならいつでも力になるよと。そうしたら間髪入れずに「ありがとう。明日何時が空いてる?治療費はいくら?」という返信が来た。
本当に、誰も話を聞かない。
📖ふたりめの主人公が登場。前者とは打って変わって代々続く家業に誇りを感じている。私の好きな職人芸(savoir-faire)という言葉が出てきて嬉しい。
2026/5/18
🦵45分ほどトレーニング。左肋骨が動かしきれないので右内転筋が伸ばしきれない。右股関節は安定してきた。
誰かのせいにするということは、自分にはそれについての決定権を持たなかった、または持てなかったという表明であると思う。関係性の歪みなど特別の事情がない限りは、どんな選択も、その環境要因を含めて判断した結果自分の責任で下すものであって、どんなに近しい関係であろうとその人のせいにするのはやっぱり間違っている。
感情がそれについてゆくかどうかは、また別の問題。
ほんとにさ!申し訳ないなと思ってて、焦ってもいるんだよって伝えてみたけど、こうして伝えることで自分だけ安心しているんだったら自分勝手だよねと思う。
✏️ラストエンペラーについての子ども向けのラジオを聴く。他のエピソードを聴いてから判断したいけど、少し気になる部分があった。
2026/5/17
前から行きたかったクルド料理店が市場の近くなので立ち寄ったところ閉まっていた。google mapsに載っている開店日は当てにならない。しかも閉まっているのにどうして「現在通常よりも空いています」情報まで稼働しているのか。。
帰路の途中で見つけたセルビア料理屋に入ったところセルビアの人たちがスリヴォヴィッツを飲み交わしてた。私たちもスモモと果林のお酒と簡単な昼食を。ここの肉は美味しいでしょ、次は中にチーズが挟まったものがあるから食べてみて、俺の甥は日本人と結婚してるんだよなどわいわい話しかけてくれて、お酒もおかわりを奢ってもらったりもして楽しい昼食だった。
大勢集まっていたけれど、きっと結束が強いんだな。お休みの日にはなんとなくここに集まることになっていたりするんだろう。この町には日本人もいっぱいいるけれど、あまりそういう雰囲気がない。同胞に会うと目をそらすことの方が多い気がする。
昔パリの19区に空き瓶を持って行くとスリヴォヴィッチを売ってくれるカフェがあって(多分違法)友人はそれをよく買っていたらしい。その話をするとセルビアの食材の売っている店が近くにあると住所を教えてくれた。今度行ってみよう。
帰り道、日本のエスニック料理店の窮状や、フランスの移民問題のことに話題を向けないわけにはいかなかった。
📖Giuliaのパート。
イタリアの職人は腕とセンスが良いという話をしたことを思い出す。職人仕事には昔気質のやり方がいまだに残っていて、そしてそれにはそれなりの理由があることに、手を動かしていると納得もする。
🦵今日はマッサージ中心
2026/5/16
今日も寒い。暖房をつける。
ちょっと前に家がガス臭くなったことがあって、たまに今までもあったけれど匂いがこれまでに増して強かったのでガスを使う時には慎重になっているのだけれど、今日は大丈夫みたい。漏れているなら対処すべきだけどどこを検査してもガス漏れが見当たらない。ガス台を分解してみないとだめかな。
2026/5/15
冬に逆戻りしたみたいな冷え込み。
#うちあわせCast を聴いていてふと考えたことがあったのでメモ。(いつもながらお二人が話している内容からはだいぶ脱線しているのですみません)
https://open.spotify.com/episode/2iFL7iIa5V7hGVyEmJRpgu?si=22gZRiz7QKyIVMK_attPoQ
曽野綾子さんが「原稿に思考の跡が残っている形で世に出すのは失礼と感じる」とおっしゃったという話から、出来上がりまでの変遷が見られるということにもまた価値がありますよねというお話をおふたりがされていた。
それを聞きながら、私にとって曽野綾子さんのようにしたいものが自分の生業にしているものの作品であり、後者が日記であるんだなということを考えていた。どちらも世の中にどう自分を手渡してみるかの方法であって、前者だけでは満ちない価値を日記的なもののなかに感じているんだと思う。どちらの価値が高いか、どちらを私の本領としているかなどということとは無縁な感じで捉えているにもかかわらず、何故私が日記という形のものをそれ以上の形にしなかったのか(例えば本にして売ったりということ)そうしてみたいと思ったこともあったのにどうしても気が進まなかったのは何故かが、なんとなく分かった。
私の中には「完成品」が「本」になるべきで、対価をもらえるとしたらそういうものだという根強い固定観念があるんだろう。すべてを練り、切り落とした結果の姿にある面白さと、その道のりや手の垢まですべてその人のものとして記録しておくこととを比べるつもりがないと考えながらも、やはり前者には人生全部をかけないと完成できないという意識があるから重く捉えすぎてしまうのかもしれない。
🦵45分ほどストレッチと軽くトレーニング。
胸椎の旋回/右股関節を骨盤を最大に傾けた状態で維持できるように/柔軟性だけでやっていたことを筋力に少し手渡せるようにする
2026/5/14
言葉のことがなんとなく好きで、書いたり読んだりするのが好きだし書くと共感のメッセージをもらったりすることがあったから自分は書くことが上手なのかもしれないと思っていた時期があった。でもある時にそうでもないことに気づいた。筋道を立てて順番に書くことは得意じゃないけれど感情や情景を表すのはまあまあできる方だと思っていたけれど、本が好きだったのになぜそんな勘違いをしていたのか。今は、書くことがそんなに上手じゃなくても楽しく書いている。私が書くことは、私にしかできないことだしね。
自分のためだけに何かをやることに慣れすぎてしまっているとも感じる。このままでは社会から必要とされなくなってしまう。書くことは自分のためだけにとどめておけば良いことだけれど、ささやかでもいいから配ってもいいんじゃないか。森で迷った人のために白い石をまいておくようなことがいい。そうだな。そのくらいのことがいい気がする。
出来上がった家具に蜜蝋をかけている。蜜蝋の匂いが大好き。はちみつの匂いが好きなのかな。
✏️何度調べても身に染みていない単語があって、今日やっと語源というか共通する大きな意味を見てみたら少し納得できた。inscrirは入会するというイメージが強いんだけど、もともと何かにひっかいて記す、記入するという意味があるらしく、だからヒエログリフにも使われる。
2026/5/13
Aにとっては当然こうすべきだとしてとった行動が、Bにとって奇異に感じられるのはどういう場合か。
1. Aがきちんと説明をしなかった場合
2. お互いの常識が離れすぎていて説明をしても理解されなかった場合
3. お互いのメタ認知のレベルがかけ離れている場合
4. 相手に抱いている人間的距離が実はすごく離れている場合(片方は親友と思い片方は他人と思っているなど)
………
年末くらいから気にかけていた衝突にひとつ動きが。立場上自分の色眼鏡を意識しながら、双方の意見を等しく知ることなどできないと肝に銘じながら、でもある程度はどういうことが起こっているかを想像できるので当事者の気持ちを想像すると暗澹たる思いが…。
📖今日からレティシア・コロンバニ『La Tresse』を読む。登場人物の人生が過酷すぎて絶句している。
2026/5/12
友人からボルダリングの体験をしたよという動画が送られてくる。身ひとつでやることなら大体こなせるけれど高いところから落ちるのは経験がないので怖いけれど今のリハビリが済んだらやってみようという気持ちになっている。その前になまった体を底上げするところからだけれど。
夢。人と知り合って親しくなれそうな予感が嬉しくて「仲良くなろうよ!」などと子どもみたいなことを言った。一緒に遊んでいろんなことを話せる人ができてわくわくした。けれど目が覚めたらその人たちはどこにもいない。
📖読了。いくつかのイメージを同時にお手玉のように進行していたが、最後にすっとひとつの点に収束して主人公だけが残る。故郷へ時間を遡り、家を探し回り、おじいさんと釣りをした沼に行き、軍人に睨まれて俯いているおじいさんを見に行き、けれど最後の瞬間には「わたし」に画面がすっと戻ってきて、わたしはどこにも行かず、これから普通の一日が始まる。
🤸1時間半くらいゆっくりリハビリ。腕が上がり伸びる動作の時に骨がどう回ってゆくかを思い出させる。藪をこじあけたのであとは道が出来てゆくように時間をかけるだけ。ついでに明日のためのメニュー作成。
ドルドーニュ地方の旅の話をして、ラスコーを案内してくれた人が書いた本をいまだに読んでいないことを思い出す。分厚い本だしまだ歯が立たないはずと放置しているけれどこのままでは一生読まずに終わってしまう。ドルドーニュ川沿いをテントを持って自転車でくだり、ヴェゼール渓谷を北上したのに洞窟までたどり着けなかった。あの時は膝を怪我していた(この10年怪我ばかりしている)。ラスコー洞窟に行けたのはやっと2025年。ほんものの洞窟は保存のために一般公開はされていないのだけれど、最新の技術を使って壁の形や塗料を土地の石や土や植物などを使ってほとんど完全に再現したラスコーⅡと言われるレプリカには入ることができる。松明を片手に案内してくれるので、当時の人たちが内側の壁のでこぼこや光のゆらぎから動物たちを連想したかもしれない、今の社会に生きている私たちからはうんと遠い感覚で生きていたであろう、視線、手仕事の跡を見ることができる。
あの感覚が忘れられなくて図鑑やら本やらを買った。せめてそれを手にしたときには戻れるようにと願ったのに、本棚にしまいっぱなし。手元に置いてたまに開こう。
https://gyazo.com/e38e9536cb3ccd271f81ea6bf0195695
Le Temps Sacré Des Cavernes | Gwenn Rigal
2026/5/11
🤸今日は少し強いリハビリといつものトレーニング。これまで動かなかった骨と筋肉が動いて可動域が広くなったのでほっとしている。ゆきつもどりつだけど、元の動きができるようになりたい。
王位継承式を聞いてる。使わせてもらうだけで何の貢献もしてないですが…いつもありがとうございます。
📖読書会の本を読む。リミットが近い!ベケットあたりの不条理劇やジョイスにも影響を受けているであろう筆致。フリーライティングのような絶えずうつろう思考の流れ。思い出の中のある対象がクローズアップされ別のイメージに引き取られ、またそのイメージが別のイメージに変身してゆき…という書き方はちょっとボリス・ヴィアンみたいだなあと考えていた。
ベケット、ちゃんと読んだことがない。(そんなことをいったらジョイスもボリス・ヴィアンもちゃんと読んだことはないのだけど)これだけ多くのオマージュ作品があるにもかかわらず、演劇のほうも観たことがない。
🍽️豚肉とタロイモをスープにする。豚肉を思いの外多く使ってしまったのでセロリと人参とブロッコリーの茎も刻んで煮込んだので具だくさんのシチューになった。肉に対して香味野菜を倍つかえば、臭みが残ることもない。酒蒸ししたし。
朝動いた腕はもう動かなくなっている。辛抱が必要。少しずつすこしずつ。
2026/5/10
強い雨。この時期の土砂降りは雨季を思い出す。甘い蓮の花の香り、コーヒー牛乳色の川、サンダルに跳ねてくる雨粒、根が絡み合った廃墟、大きなジャスミンの木、苛立ち、…。
🤸リハビリは思うように進まない。けれど怪我に関しては辛抱強い方みたいで対策を練りながらこつこつ続けることができそう。治りの遅さには動けなくなったからこその筋量の低下も関わっている気がする。傷めやすくなっている膝に関しても、股関節回りの軸が支えきれていないことも関連していそう。今までは切れている半月板がまっすぐ噛み合っている骨の間に正しく位置していたので痛みが出なかったけれど、股関節が外に緩むことによって膝に余計なブレが出てきている。股関節は腱の強さでなんとか保っていたけれどもともと外れやすいほどに柔らかいので、意識的に股関節周りの筋肉を補強しようと思う。
考えてみたら左足を軸としての蹴りや回転は安定しているけれど、右は骨盤との連動が苦手だった。左右のバランス差も改善できるかな。
2026/5/9
複雑さに自分の言葉が追いつかないと思い込んでいるところはある。けれど、自分もいろんな立場を経験し、回りにもいろんな状況の人を見るうちに、ものを言い切ることがますますできなくなる。
誕生日の人のためにバスクチーズケーキを焼いた。
材料を買いに行って8人くらいの子どもに絡まれた😂
2026/5/8
穏やかに晴れている。優しい雲が多く、そよ風が吹き、暑くも寒くもない。
📖ふいに西アジアの失われた文明、楼蘭が登場する。埋められた故郷、湖から砂漠へと漂いだし、ドイツとアルゼンチンの試合を見ながら楼蘭を想起し、魚を追いかけるうちに砂に手を埋め、いつのまにか魚は乾き、そのひれで手を怪我する。イメージがイメージを、追憶が追憶を引き取って、景色が重なってゆく。
2026/5/7
何かを話そうとした時、まずそのテーマとなった言葉の定義付けからはじめる必要がある。つまり「◯◯」について話しましょうという前にその◯◯という言葉自体への個々のイメージが一致しているかどうかを確かめないと当然話し合いは大きくすれ違うし、なぜそんなにすれ違っているのかが見えないまま遠くまで歩いていってしまうことになる。
ひとつの言葉には一般的な意味、定義があるとされているけれどそれを「同じ」とするのはどの解像度でものを見たときなのか。16bit(?よく知らないけれど)で見たら点かもしれないけれど人によってはそれをもっと数字の多い画素数で捉えているし、加えて厚みを持っているかもしれない。話し合いをする個々がその立体のどの面に多く触れてきたか、どの深度で語ろうとしているのか、はたまた客観性を働かせて相手の解像度で話せる人とそうじゃない人、長く生きていれば社会の変化の中でその言葉がどういう位置にあったかも変化するから、それに敏感かどうか、文脈を知っているか知らないか、…ひとつの言葉ですら無数のコミュニケーションの可能性のバリエーションがあるのに、果たして我々は「ほんとうに」言葉を通じ合わせることができるんだろうか、と、いつも思う。
これは私が母語以外の社会で生きているからこそ感じることでもあるのかもしれない。言葉が違うということ以上に体に染み付いた自然感、死生観、社会から手渡された物語が違う。
📖よくあることだけれど、全く違う物語を読んでいるのに同じ景色や同じテーマが出てきたりする。今回は砂に埋められるイメージ。埋葬のイメージ。町が墓場になるイメージ。
次回の読書会の課題本を決めた。候補の本のレベルを調べるけれど、一体何をもってレベルを測るかが難しい。文章の難しさは文法のレベルだけじゃないし、詩的であるから難しいとも言えない。読む人の触れてきた文化にもよる。
2026/5/6
朝から友人宅に遊びに行く。雨模様だったけれど散歩をしてスーパーで買い物をして一緒に昼ご飯を作って食べ、話す。
彼は日本語を勉強しているので30分ずつ相手の言語で話をする。オノマトペと形容詞の関係を訊かれてアニミズムとの観点から話をスタートしてみようと思ったが、私の語学力では入口で転んでしまいどこにも辿り着けなかった。ご家族がシュタイナー教育を取り入れている学校で先生をしているそうで、いつか色々と話を訊いてみたい。2014年にワタリウムにルドルフ・シュタイナー展を見に行って( http://www.watarium.co.jp/exhibition/1403steiner/index2.html )改めて興味を持ったのだけれど詳しく知ろうとしないまま今日に至る。
フランスの高校は卒業時にバカロレアをとらないといけないのだけれど、シュタイナーの学校もこれは同じで(最新のバカロレアとは種類の違うバカロレアなのだそうだが)大学進学資格に関しては問題がないのだそうだ。
2026/5/4
そういえば5月と6月は雨が多いのだったと思い出す。
雨がよく降るようになったのはこの7,8年。それまでは傘のいるような雨は年間を通して滅多に降らなかった。ちょうど日本の梅雨と重なる時期。…と考えて気づいたのだけれど、日本も私の知っている気候とは随分変わっているはずだな。
📖今読んでいる多読のための本、見かけの文章が簡単そうで選んだのだけれどもしかしたら予想したよりうんと読み解くのが難しい内容だったかもしれない。けれど知らないことを読み飛ばさずに読み、何度も文章を辿ることでその景色が濃く刻まれる体験は語学初心者だからこそ通れる道で、その中でこの作家の文章を味わうことができて良かったと思う。
2026/5/3
市場へ。1と7を見間違えて高い肉を買ってしまったがたまにはいいことにする。自作の陽気なバナナの歌を歌っているバナナ売りのおじちゃんを久しぶりに見た。北アフリカ食材屋のおじさんは相変わらず足の結石みたいなものが痛そうだし、八百屋のお兄さんはやっぱり右鎖骨下あたりが痛そうだったし、心配だ。パン屋で友達に会った。歌を再開して今度ジャズバーで歌うということなので聴きに行くよと約束する。
そういえば道の途中にいるかわいくてぽけっとした猫に今日は会えた。その家は植物もよく手入れされているから、可愛がられているに違いない。
📖作文とリスニングを少し、多読。
多読は簡単な多読と困難な多読を混ぜて行っている。困難な方はゆっくりとしか読めないから多読とは呼べないのだけれど、知的好奇心を殺していると勉強が嫌になってしまうから。
2026/5/2
たっぷり時間があっても勉強や読書に長い時間集中するのが難しい。「長い時間集中する」ということ自体に慣れや体力がいる。どちらも数年前まではほとんど何の心配もなかったのにな。一度習慣を手放すと当たり前にできていたことが実は積み重ねによって得ていたものなのだということに気づく。
5月は連休が多い。メーデーからの三連休はGWでのんびりしているタイムラインと雰囲気を共有するみたいで嬉しい。ので、アープラで作業時間を共有することにした。といっても301を勝手に部屋みたいに使っているだけだけど。
2026/5/1
メーデー。すずらんを贈る日でもある。
半袖でも暑い。買い物に行ったらスイカがならんでいたのでひとつもらってきた。よく冷やしてあとで食べるつもり。今年初スイカになるかな。フェタかモッツアレラを買ってきたらサラダにもできたのにな、もう一度買い物に行く気にはならない。
何の音かと思えば激しい雨。窓の前の葉っぱを雨粒が叩く。風はなし、雨音だけ。夏の匂い。
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